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再始動

コロナ禍で、えいや!で始めた当ブログとショップですが、なんとほんの1ヶ月で頓挫しておりました。2年ぶりのご挨拶です。

色々あったことは確かだけれど、そんなに色々なかった、ということもまた確かなのでした。

先日、IDとパスワード探しから始めて(苦笑)、やっと再始動できそうです。改めてお付き合いいただけますと幸いです。

さて。
ちまたでは海外渡航も一部解禁され、久しぶりにちょっと羽目が外せそうな夏休みとなりましたね。私の上司は家族でハワイ行ってます… 昨日連絡があって、72時間以内陰性証明が取れ、無事に帰国できるようです。

…もっと休んでくれてても良いんですよ? 上司元気で留守、最高。

というわけで、思う存分バカンスしてきた上司のことが、悔し羨ましいので、私もハワイの写真上げます。

ペレ


こちらは5年前に新婚旅行で訪れた時のものです。

ちょっと見づらいですが、以下の2つの写真はハワイ島にある「ペレズヘア」と呼ばれる石?というかガラス質の物体で、すごく細いですが、溶岩が固まったものだそうで、ハワイ島でしかお目にかかれません。鉱物好きの方としては興味深いのではないでしょうか。

地面に落ちてるところ
ペレズヘア(ペレの髪の毛)

持って帰ると不幸が訪れるとのことで、けっしてそんな不届きなことはいたしませんでしたが、地学好きにはちょっとだけなら…なんて気持ちがわきますよねー(笑)。

コロナと円安のダブルパンチで、(小金持ち上司と違って)私たちなどは当面海外は控えざるを得ませんが、早く石買いの旅行に行きたいものですね。

とりあえずは、香港、上海からの近いアジアの国あたりでいいので…早く自由になりますように(-人-)

竜の背に乗った話

星が近く感じた。
手を伸ばせば届くのではと思うくらいに。

十五、六年前のことだ。

ある、小雨のぱらつく夜、ぼくは自宅への帰り道を急いでいた。
地元の友人と遊んでいたらすっかり遅くなってしまった。
明日も朝から仕事だ。
日付はとうに変わっている。
今から家に帰って風呂に入って何時間眠れるだろうか。
幸い車なので雨に濡れる心配だけはない。
自転車しかなかったころに比べればなんと幸せなことか。
そう自分をなぐさめながらハンドルを握り直した。

ふと、何かが霊感に訴えかけてくるのを感じた。

『ごぉーん』『ごごぉ~~ん』
遠くから響く大きな音。
竜だ、と直感した。

蟲師2巻「やまねむる」より

耳に聞こえる実際の音ではない。
しかし、彼方から届く遠雷のような、そんな『声』をぼくは確かに聞いたのだ。

興味を持ったぼくはハンドルをきって、『声』のするほうへと進路を変えた。

するとどうだろう。
ある程度までは『声』が近づくものの、ここだ、という場所に着く前に再び遠ざかってしまう。

何度試しても、近づいたり遠のいたりを繰り返すばかりで、いっこうに発生源まで辿り着けなかった。

やがて『声』はだんだんと聞こえなくなり、ぼくはこの日の探索を諦めた。

後日、知り合いの霊能者にこの出来事を話してみた。

「・・・というようなことがあったんですよ。」
一体なんだったんでしょうね、と話を結んだぼくに、彼女の返事はたった一言だった。
「地下水脈だろ。」

そこはもうちょっと話をふくらませてくれないだろうか。
話題に乏しい初心者が必死にネタをひねり出しているというのにあんまりだ。

詳しく聞いてみると、以下のようなことらしい。
いわく、地下水脈などの「表面に現れていない動きや流れ」を霊感でサーチしたときは、『竜』と勘違いしやすいのだそうだ。

地図を開いて調べてみた。
なるほど、大きな川が低い山の手前で急激に方向を変えている。
反対側には湿地帯がある。

手書きのヘタな地形図

山にぶつかった川の流れの一部が地面に潜り込んで地下水脈となり、山の向こうで地上に出てきて湿地帯を作った。
そう考えれば理屈は合う。
地下水脈説はありそうだ。

あの時の場所へもう一度行ってみた。
地下水脈ということなら、雨は関係があるだろう。
条件を揃えるために、雨の日を選んだ。

『声』は以前ほどはっきりとは聞こえなかった。
『地下水脈』の”うねり”に意識を集中すると、それらしきものがキャッチできた。

第六感をたよりに探していると、ある地点で急に周りの雰囲気が変わった。

宇宙そらが近くなったように感じた。

空と地面との間の距離が無くなって、自分の立つ場所がすなわち宇宙であるかのような、
そんな不思議な感覚だった。

肉体は車の中にあった。
空には雨雲が掛かっていた。
でも、手を伸ばせば星々にも届くような気がする。

ああ、ここはきっと「特別な場所」だ。
宇宙と地球が、同じものなのだと理解できた。

思うに、地下水脈のような「表に現れていないエネルギー」は、「竜と間違われやすい」のではなく、ある意味において「竜そのもの」なのだろう。

感覚の鋭い人間が見つけて、祀ったり名前を与えたりすることで、「神」としての輪郭を得るのだ。

神の原型、 神になる前の神、 ぼくが触れたのはおそらくそういったものだ。

ぼくが「神」「竜」という認識で接触しようとしたことで、『声』は何らかの変容を遂げたのではないだろうか。
たとえば「天に昇る」というような。

その昇天に巻き込まれたとするならば、「星の存在を身近に感じる」というあの時の感覚にも、一応の説明がつくように思う。

地元を離れ、東京で暮らす今、
もうあの『声』を聞くことはない。

絵の中に入り込んだ話 -Day Dream Believer-

最近のマイブームは鰹節をかくことです。

どうも。占い師のshinjiです。
昔、さる女流監督が言っていました。
「オンナはね、30歳を過ぎると丁寧に生きたくなるものなのよ」と。
オトコのぼくも30歳あたりから丁寧に生きたくなって、
土鍋で米を炊いたりしてました。今は鰹節。

さて、丁寧に生きる、とは、
具体的にはどのような生き方なのでしょうか。

問われた人の数だけ答えのあるような問答ですが、
ぼくは自身の経験から二つの提案を行いたいと思います。

ひとつ、一つの物事に継続して取り組むこと。
ひとつ、自分に嘘・ごまかしをしないこと。

以前にこんな出来事がありました。

ぼくが伝統工芸の工房で見習いとして働いていたころ、
作品にあしらわれた模様を見て親方に尋ねたときのことです。

「おやっさん、この模様は何を描いたものなんですか?」
「それは『浜松』という模様でね、砂浜に生えた松の若木を描いたものさ」

浜松模様の茶釜

(ふぅん、言われてみれば、そんなふうに見えなくもないかな?)
そう思いながら小首をかしげた瞬間、
砂浜に立っている自分に気が付きました。
目の前には松の若木。

(えっ・・、えっ!?)
そんな馬鹿なと、
目をぎゅっとつむって首を左右にぶるぶると振ると、
次に目を開けたときには意識は職場の工房へと戻ってきて、
作業椅子に腰かけたぼく、手の中には親方が模様を入れた作品がありました。

ぼくが少し感受性が強いことを割り引いて考えたとしても、
名人の手仕事というのは時にすごい力を発揮するものだなぁ、と、
20年近く経ったいまも印象深く覚えています。

以来ずっと、なんでこんなことが起こったのかと考え続けています。
今のところこれが答えじゃないかなと思うのは、
親方が先祖代々(12代!)受け継いで来た手仕事です。

400年のあいだ脈々と、同じ模様を日々繰り返し繰り返し描いてきた。
ときに付け足され、ときに簡略化され、400年間洗練され続けてきた。

これって何かに似ていませんか?
そう、梵字やルーンです。

親方自身も、生まれてこのかた50年近くその模様を描いてきて、
抽象化・シンボル化して、素人がパッと見ても何を描いているのか分からない。
でも、分かったとたんに模様の中へ繋がってしまうほどのパワーを秘めている。

先祖伝来のものをなるべくそのままの形で次代へ託そうと、
親方自身も50年間向き合い続けた、
その結果がこういう形で実を結んだんじゃないかなと。

話は戻りますが、
丁寧に生きるってこういうことじゃないかと思うんですよ。
たった一つのことでいいから、
誠実に向き合い続けろってことだと思うんですよ。

人間ですからね、365日がんばれってのは無理な話です。
サボる日も手を抜く日もあったっていいんです。

でもね、ここでへんなごまかしをしちゃいけない。
自分しか騙せないような、くだらない嘘をついたらダメなんです。

サボったら、手を抜いたら、
ごめんなさいして次もっと頑張りましょう。
それが誠実ってもんでしょう。
間違いを認めて、
正すよう努力するのが正直ってもんでしょう。

〇〇だから出来なかったのは仕方ない、
そういうごまかしが、
人生を丁寧から遠ざけるんじゃないかな、って思うんですよね、
親方の仕事を思い出すとね。

ぼくも、始めたばかりのこのブログに、
親方みたいに誠実に取り組まなきゃなって、
この記事を書きながら気持ちを新たにしています。
とりあえずは頭の中にあるもの全部、
記事として出せるように頑張りますね。
よろしくお願いします。

漫画読んだら霊に憑かれた話

十五、六年前のことだ。

その日わたしは、実家の母が送って寄越した古雑誌を読んでいた。

水曜日に発売する2冊のうちのどちらかだから、サンデーかマガジンだろう。

当時のわたしはひどく貧乏で、娯楽に乏しい暮らしをしていたものだから、3週間まえに発売して実家の喫茶店で読み古され、本のどこかに干からびた焼きそばが挟まったような古雑誌でも、それはうきうきとページをめくったものだった。

巻末のほうに読みきりのホラー漫画が載っていた。

期待の新人、みたいなアオリは特にない。連載陣のだれかが落として代原としての掲載だろうか。無名の新人にしては、1ページ目からすでにぞくりと来るような凄みがある。

あらすじはこうだ。

むかしむかし、あるところに人殺しの男がおりました。男は、若い女ばかり何十人も殺めたので、死後も人々の口伝えに恐れられました。ある絵師が噂を聞きつけ、一幅の掛け軸を描いたところ、なんと夜な夜な、絵から男が抜け出し女を手にかけるようになったのです。この恐ろしい掛け軸を託された寺の住職は、絵を処分することで男が解き放たれてしまうのを恐れ、封印するに留めておくことにしました。やがて時は過ぎ、忌まわしい記憶も忘れ去られていきました。

そして現代、経営に困った寺がいわく付きの掛け軸を蔵から引っ張り出し、「封印された幽霊画、数百年ぶりに公開!」と銘打って特別展示を行うところから物語はスタートする。

展示にやってきたある女子高生が、
「幽霊なんているわけないじゃん!」
と掛け軸に貼られた封印のお札を引っぺがしてしまい、
そのあと恐怖体験に見舞われて最終的に死亡を匂わせる描写で作品は終わっていた。

ああ、やっちまった。
思えば警告はちゃんと来ていたのだ。
1ページ目を見たときに「凄み」だと思っていた、ぞくりとした感覚。
あれは霊感が危険を訴える声だったんだ。

女子高生が封印のお札をはがすシーン、
描かれた人物の顔の部分に、目線を入れるように貼られたお札。

お札をはがして、絵の中の「男」と目が合って、『ひっ…』と小さく悲鳴を上げる女子高生。

そのシーンを読んだ瞬間に、わたしも目が合ってしまった・・・・・・・・・・・・・
漫画のコマ越しに、「男」と。

何か、とてもイヤなものと「繋がってしまった」感触。
正体不明のストレスが突然あたまのなかを埋め尽くす。
必死で考えないようにしても、
「男」の目がこちらを見ている光景が、どうしても意識から離れなかった。

当時修行中だったわたしはこの日も行(ぎょう)を行ったのだけれど、
「男」の視線が脳裏にこびりついて、まったく身が入らなかった。
気功をやってる友人たちとのオンラインミーティング中にも、
「shinjiくん、今度は何やらかしたの?すごい邪気出してるけど」
と言われる始末だ。

直接的な影響は三日くらいで抜けた。
思い出してぞわぞわするのは1年くらい継続してしまったが、
大きな害はなかったので霊障としては軽微で済んだと考えている。

ところで、この記事を書いていて、ふと気になったことがある。

わたしが読んだあの話は、フィクションだ。
当時、似たような掛け軸の話が存在しないかとインターネットで検索してみたが、
そんな話はついぞ見つけることはできなかった。

あの話はフィクションだ、
それは間違いない。
じゃあ一体、
わたしと目が合ったあの「男」は、
「どこ」から来たんだ?

生まれて初めて買った石。

初めまして、あやめです。私が担当する最初のブログ記事です。

最初に何を書こうかなーと考えていたのですが…
この文章を読んでる方は、私の友人知人を除けば大体は「天然石」「パワーストーン」に興味のある方と思うので、今日は私が生まれて初めて買った石のお話を。

皆さんが最初に石を買ったのはいつでしょうか?
私は大学生の時です。

今から30年以上前。
当時は、宝石を除く鉱石などは今ほどの市民権を得ておらず、「パワーストーン」なんて言葉すら存在していませんでした。今では1つの町に1つはありそうなくらいの石のお店が当時はどこにもなかったんです。 なんか、、、考えられないですよね?(笑)

小学生の頃に、とんでもなく不自然なきっかけがあり(これは後日また書きたい)、「キラキラ光る石」に魅了された私ですが、 九州の片田舎に住まう中高校生には、どうやって「アレ」が手に入るのか?ということすらわからなかったんですね。まあせいぜい、河原で石やら硝子やらを拾うくらい。当時ワクワクの宝庫だった「魔女の家」ですら、そんなものは売ってなかった。数年後には扱ってたんだろうけど、絶妙にタイミングが合いませんでした。

そうこうしてる内に大学に進学。はしゃいで渋谷や新宿に出かけていた頃も、偶然見かけるようなことはありませんでした。あるところにはあったんけど、まだ数が少なかったんですね。 それこそ、紀伊國屋書店の1階にある、化石のようなものを売っているショップなどには並んでいたんはずなんです。けど、紀伊國屋は紀伊國屋でも私は、どちらかというと紀伊國屋ホールでやってた演劇に夢中で、毎日どこかで必ず芝居がかかっていることに大感激&大興奮でした。世はまだまだ小劇場ブーム。「大学に行けば演劇ができる!」の一念で受験勉強がんばりましたからね。

たとえその時、そういった店に出会ったとしても、学生のお財布で気軽に買えるような石はなかったでしょう。それに、いわゆる鉱石みたいなのは、今でこそ魅力がめちゃくちゃわかるのですけども、10代の女子的にはそこまで魅了されるものでもなく「キラキラ光ってる」「たまに雑誌とかで見かける」「丸くてかわいい色」の石を私は求めてたんだと思います。

じゃあ、どこで最初の石を買ったのか?
結局、地元でした(笑)。

大学一年生のどこかだと思うのですが、帰省した折り、隣の市までお買い物に出かけました。とっくに閉店してしまいましたが、大分のPARCOです。

私はファッションにはほとんど興味がありませんでしたゆえ、本来、まったくもって縁遠い場所でもあったのですが、地下に入っている書店だけは別。ここに置いてある本は、 田舎の本屋のラインナップとはもう本当に他とはひと味もふた味も違った魅力的なものがそこかしこにあり、しばしば立ち寄っては、 蝶々のようにフラフラと蜜の味を求めてさまよい歩き、時間を費やしていたように記憶しています。

PARCOの上階には特別催事場のようなスペースがありました。
私のルートはもっぱら、地下1階の書店、中途階飛ばして、その(確か)最上階。何か面白いことやってないかなーと覗くのが定番でした。中古レコード市などやってたなぁ。

で、いつものように半ば自動的に上階へとやってきたら、そこで、天然石販売がされてたんですね。「え?」と「うわー!」と「きゃー!」と「あった!」がない交ぜになって、じわじわあがって来ましたね。

地元の言葉で言えば、「さすがPARCOやな!」みたいな感じですよ (笑) 。スイッチオンっす。
目がくわっと開いて、動きが1.2倍くらい俊敏になりました。

あー長くなっちゃったので、続きます。